『神、人を喰う』

神、人を喰う―人身御供の民俗学

神、人を喰う―人身御供の民俗学

 

 なんともショッキングな題名ですが、「人身御供の民俗学」の副題通り、民俗学からみた人身供儀について述べた本です。
出版は2003年、著者の修士論文をふくらませたものだそうです。

序章において、著者は、柳田國男など戦前の研究者が書いた文献、エッセイを検証し、人身御供をめぐって対立するかんがえかたがあったと述べています。

一方は、「日本にも人身御供のような習俗は存在した」とする説。南方熊楠など。

もう一方は、「日本にはそんな野蛮な風俗はない」とする説、柳田國男など。

加えて、関東大震災後の復興事業で皇居改修工事中に、二重櫓の地下から「人柱」が出た記事を取り上げ、当時世間を騒がす一大問題になったことを紹介。

そして、第一章以下で、実際に行われている「人身御供伝説を持つ祭り」を検証しながら、人身御供譚を受け継ぐ精神(なぜ、どのように”語られたか”)を分析。

結局、著者は、人身御供の習俗について、「かつてあった」とする説はとらず、「昔はそのような恐ろしい風俗があった。今はなくてよかったね」という共同体支配者側による人身掌握の”装置”として機能した、という立場のようです。


タイトルからして、南方熊楠説をもっと深めてくれるのかとおもっていたわたしは、非常に拍子抜けしました。

しかも、自分の立ち位置をあとのほうで”暴露”しているので、「なんじゃそりゃー!」とおもわずさけんでしまった。


たしかに、祭りというのは、長い期間にわたって継続して行われてなんぼ、のものだから、「受け継いだ者たち」に注目するのはわかるんですが、人身御供というグロテスクで異様な習俗があったかどうかに関心がある一般人には、「あれ?」な本でした。
(わたしがもとめるものは、民俗学ではなく文化人類学に属するのかもしれません)


あと、気になった点がひとつ。

民俗学的なものの見方では、やはり歴史的な時間経過を軽視しがちになるのでしょうか。
古代も中世も近世も一緒くたにしてかんがえているような節があり。