『司馬さんの見た中国』

去年の暮れにゲットして、ちびりちびりと舐めるように読んでました。
一気に読むと、たのしみが半減するから。

言葉、本、中国に関係するエッセイをまとめたもので、1990年代からここ2、3年にものまで、幅広く収められている。

20年くらいの間に書かれているものだけど、さすがというか、好み、感性にブレがない。お年を召してからのもの、という点を割り引いても、こういうスパッとしたかんじが、読んでいて気持ちがよいです。

「司馬さんの見た中国」では、官僚の「腐敗」について書かれていた。

かの国では、役人が、公然と資産を蓄えることは、悪でもなんてもなくて「当たり前」なんだそうだ。マージン取って当然で、その富で、自分の一族を養っていたらしい。

「職務によって収入を得るのは、悪いことではない。当然の収入である」(p.20)

おもしろいのは、そうやって「私腹を肥やす」役人が、悪いやつらだとおもうのなら、それは「ちがう」、という点でした。

役人は、科挙に受かるために、子どものことから勉強(儒教の経典を学ぶ)ばっかりしてきた「いいとこの坊ちゃん」なので、真面目なひとが多いのだそうです。

「そのことと、職務によって収入を得ることとは、少しも矛盾しないのである」(p.23)

日本人には理解できない中国人(^^;;;


「平川先生はなぜ怒ったのか」

比較文化史の「大家」平川祐弘氏が1974年『西欧の衝撃と日本』を講談社から出版するにあたって、編集部から「今の時点では、中国について批判めいたことはお控え願えませんか」と言われて、憤慨した、ということについて述べたもの。

高島先生は、戦後長らく、日本にとって中国は敏感な問題であり、「言論の自由をも圧迫するものだったことが少なくない」と言っておられます。

また、中国では1979年以降市場経済化を遂行して、計画経済から実質的に資本主義への転換が行われ、「人民革命万歳」は語られなくなったが、日本の親中派なかではその後も生きていたのである、とのくだりも、まさにその通り。

1980年代に学生だった自分(歴史学専攻)も目の当たりにしています。日本では1990年代になるまで、「中国はいい国」みたいな漠然としたイメージがはびこってましたからね。
大多数のひとは、天安門事件で目が覚めたとおもいますが。


「兵站、入営など」<これでいいのか本づくり5>

軍隊用語に明るくないのに、軍にかかわる欧米の著作を訳すことにたいして、批判している内容。
それとともに、「まじめな著作なのに、男は生年を記して、女は記さない愚劣な習慣はどこから来たのか」と一喝。
まったく、ごもっともだとおもいます。

どんな本を読む場合でも、書いたひとの年代や育ってきた環境を知りたいとおもうのは、本読みなら誰でもそうでしょう。わたしなど、まず最初に、巻末の著者経歴を見ます。

このひとは70年代生まれか、ほうほう、この大学で学んだのか、などなど、自分の持っている知識やイメージと照らし合わせて、なんとなく「著者像」を固めたくなるのが人情ですし。

「どのようにしてこの本を出すまでに至ったのか」を知れば、著者や内容への理解も深まるというもの。
学術書でも料理書でもおなじです。

なので、やはり女性でも、本を出す以上は年齢を明記してもらいたいとわたしもおもいます。