『古事記講義』

 

古事記講義 (文春文庫)

古事記講義 (文春文庫)

 

古事記のひみつ』で衝撃を受けた三浦佑之さんの本。

こちらも目から鱗の内容が多々あり、うまく感想をまとめられません。

内容を列記しておくと、

 

神話はなぜ生まれたか

人がそこに生きる根拠が必要。それを保証するもの。
人間が生きていくうえで、不安はつねにつきまとう。
人やその土地が、ゆるぎないものであるという安心感を得て、そのような不安を退けるため。
そして、日本人は「人」を何に見立てていたかというと、「草」である。
古事記のはじめに「ウマシアシカビヒコヂ」という神が登場するが、名前からかんがえておそらくは原初の神であろう。
「うつしき青人草」とは、青々とした草である人、という意味。

 

英雄時代論争

石母田正が提唱した。国家成立以前に「英雄時代」と呼んでよい時代があったとするかんがえかた
西洋詩学の概念。文学史上の問題として提起されたが、歴史学の問題になってしまったことが不幸であった。

 

古事記日本書紀に対する三浦氏のとらえかたははっきりしています。

古事記は、物語として国家の周辺にあったもので。日本書紀は、国家としてのアイデンティティを確立するために編纂された、対中国を特に意識したもの。

ということは、より日本人の心の古層にある感覚を究明するためには、古事記こそが重要ということです。

古事記は「語られる神話」であり、「語られる」とは口承という意味、つまり文字が入っていくる以前のオーラルな文学の痕跡を古事記に求めているのです。

 

わたしが知るかぎり、古事記の性格をこのようなはっきりした形で示したのは三浦氏がはじめてです。

学術の域を超えたわかりやすい主張ですし、日本人必読の書かとおもいます。

 

『食の世界地図』

食の世界地図 (文春新書)

食の世界地図 (文春新書)

 

日本は世界のなかでも、まれにみる「いろいろな国の料理が食べられる国」のようです。日本というか、東京が、ですね。

 

「もっとおいしいものを」「別の風味の料理も」と都会の人間がおもうようになったのは、1980年代後半バブルの時期からでしょうか。

もはやグルメという言葉が意識外に追いやられるくらいに、美食は当たり前のこととして根づいています。

 

そういう日本で食べられている外国の料理、食文化について、その歴史や発祥について雑学的に書かれた本でした。

いろんなうんちくがぎっしりつまっていて流し読むにはいいのですが、どうも系統だって書かれておらず、中華、フレンチ、イタリアン、アメリカ料理など、雑多入り乱れというかんじです。

著者は「21世紀研究会」とありますが、執筆者が明記されておらず、どうやってこの文章ができたのかまったくわかりません。

せめてメンバーくらいは書いたほうがいいのではないかと。

 

『バウドリーノ』

バウドリーノ(上)

バウドリーノ(上)

 
バウドリーノ(下)

バウドリーノ(下)

 

先日亡くなった、イタリアの作家、ウンベルト・エーコの創作歴史小説

エーコといえば、『薔薇の名前』です。いまから30年弱、映画が日本でもヒットして有名になりました。中世イタリアの修道院を舞台にしたミステリーでしたが、映画はともかく小説はとにかく難解で、理解するのに苦労しました。おそらく、歴史的なバックボーンがない日本人にはピンとこないおはなしだったかと。

そのエーコによる中世の歴史もの。今回も「むずかしいのか?!?」と構えて読みました。

でも、わかりにく(すぎた)のは冒頭部分だけで、あとはつまるところもほとんどなく読み進めることができました。

こちらのほうが、人間の感情にとても素直なような気がします。血が通っているといいますか。

 

この小説、最後の最後に「どんでん返し」が待っていました。

それまで物事の牽引役だった主人公バウドリーノ。生まれて初めて、他人に自分の在りかたをひっくり返されてしまいました。

エーコがこういう結末を用意していたとは(さすがというか)

 

それから、この小説の世界観、『山海経』に似ています。

中世の"贋作"とされる「司祭ヨハネの手紙」と漢代に完成した『山海経』に共通点があるということは、自分たちの外の世界に対して、人間とは、似たような想像力を働かせてしまうもの、といえるかもしれません。

 

 

『雑草と楽しむ庭づくり』

雑草と楽しむ庭づくりーオーガニック・ガーデン・ハンドブック

雑草と楽しむ庭づくりーオーガニック・ガーデン・ハンドブック

 

 戸建に住んでいようがいまいが、一旦気になったら、どうしても目に入ってくるのが雑草です。

道があれば、必ずといっていいほど生えています。

手入れされなければ、それこそ、これ幸いとばかりに、アスファルトを突き破って繁殖する勢いです。

雑草」といえば、踏まれても踏まれてもしゃんと葉っぱを伸ばすところから、今や現代人がもとめるたくましさの象徴ともなっているのは、皮肉なものですね(^^;

 

そういう雑草といかにしてつきあっていくかが書かれています。

著者は、雑草を敵視するのではなく、雑草が生えているのはなぜか、もしかしてそこに必要だから生えているのではないか、という観点から、雑草を生かした庭づくりを提案しています。

 

「生態系に必要」という指摘に、目からウロコでした。

それ以来、散歩していて、雑草の茂った場所を見ると、「この雑草たちもちゃんと光合成をして酸素を供給してくれているんだなあ」と広い目?で見られるようになりました。

適度に手入れし、適度に整えてあげたら、庭や生活道路がキレイになるとおもいました。

 

『古事記のひみつ』

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

古事記のひみつ―歴史書の成立 (歴史文化ライブラリー)

 

古事記というと、天武天皇の勅命によって太安万侶稗田阿礼の語りを編纂したことにより成立したもの、とひろく知られています。

本書は、その定説に一石を投じるかなりスリリングな内容になっています。

 

プロローグにて、著者は、古事記における倭建命と、日本書紀における日本武尊の扱われ方が百八十度ちがうことから、古事記の視点は過去に向いていて、日本書紀の視点は未来に向いているという西郷信綱の見方を支持します。

古事記の倭建命は父景行天皇に疎まれていて、半ば放逐の形で西征東征に赴きますが、日本書紀日本武尊は次期天皇と期待された愛息子として、父の手足になってまつろわぬ者を平らげにいきます)

日本書紀は、日本国の正史としての役割を持ち、天武持統王朝がめざした律令国家にはなくてはならない事業として編纂されています。一方古事記の編纂は、勅撰にもかかわらずその正史のどこにも記載されていないというおかしなことになっています)

(↑これら2点は、著者でなくても、誰しもが認めるところです)

 

この着眼点から出発し、著者はまず、日本書紀の性格、成立から、詳細に検討していきます。

その結果、日本書紀が、律令国家の国家事業として「日本書」の構想のもとに作られようとしたものであることを導きます。

このような「公」としての性格が強い日本書紀に対し、「では古事記はどうか」という問題を立ち上げ、古事記本文の性格について検討していきます。

 

そして、古事記をよく読んでいくと、「序」と本文のあいだには、その印象や性格に大きな隔たりがあるのではないかと、読者に提起します。

このあたりが、本書のキモであり、もっとも読み応えのある部分でした。

 

結論からいうと、「序」は9世紀に成立した「偽書」であるものの、本文そのものは、その内容や系譜の古層性や万葉仮名の遣いかたにより、日本書紀よりも古く7世紀半ばには成立していたであろう、ということです。

 

最近、古事記日本書紀を繰り返し読んでいるわたしとしては、非常に納得のいく説です。

とくにヤマトタケルについては、どうして両者でこうも扱いがちがうのか、疑問におもっていました。本書を読んで氷解した次第です。

 

古事記という、21世紀の現代では、もうすでに研究し尽くされているとおもっていた書物が、著者の手でまったく新しい顔を見せてくれたといっても過言ではありません。

著者は、上古には、古事記日本書紀に載っていない伝承や系譜がいくつも存在したと述べています。

現代からでは、古代の様子をうかがう材料がそれ以外にはほとんどない状況ですが、「あまたの伝承・系譜」の存在を意識しながら、古代を想像するのもまた一興かな、とおもいました。

 

 

 

 

『利己的な遺伝子』

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

長らく、どうして人間は快適さや利便性をもとめて文明を発展させるのかと疑問におもっていました。文明を発展させるということは、自然を破壊したり自然と対立する結果になるからです。自然から生まれた人間なのに、なぜ自然に逆らう行為をするのかな、と。

ふと最近、それは、生活が清潔に、快適になれば、子孫を残すのが容易になるからじゃないかと気がつきました。
自分の遺伝子をなんとしても残したいという欲求があるからです。

では、世界で食糧問題が解決せず、格差が拡大するのも、快適な環境のなかで子孫を残したいという(ごく自然の?)欲求があるためでは???
文明を発展させることのできる人間、民族(=遺伝子)が他の民族を圧倒、より多くの人間(=遺伝子)を残すことができます。
快適さを求める意識は、動物としての本能に基づいたものなのかとのかんがえに至りました。

しかし、このまま遺伝子に促されるまま欲求にもとづいて環境を破壊すれば、いずれ人間の生存が脅かされることになります。
そのときも、また、生き残る人間と生き残れない人間に分かれるのでしょうか。

 

『日本の土』

日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化

日本の土: 地質学が明かす黒土と縄文文化

 

日本の土、それも、北海道、東日本、九州でよく見られる「クロボク土」の生成について解説した本。

「クロボク土」とは聞きなれない土ですが、黒くぼくぼくした感触の土なので、農家でそう呼び習わされているそうです。
土壌的には肥沃な土地とはいえないものの、水はけがよいため、夏のスイカや秋の根菜類の栽培に適しているとか。

著者の専門は地質学だそうですが、専門的には「邪魔」なこの土を、目にするたびに気になり、いかにして日本列島で形成されたのか解明すべく、研究をはじめた、と。
従来は「火山灰」であるとされているものの、火山灰だと黒くはないので、疑問におもったそうです。

本書はいきなりクロボク土について述べられていません。
ローム層についての解説、土壌一般の形成、表土について、日本列島の形成、もろもろを丁寧に解説したのち、本丸であるクロボク土に斬り込みます。

なので、「クロボク土、っていったい何?」までたどりつくのが長く、ラスト2章分でようやく解明。

クロボク土とは、縄文人が野焼き、山焼きをおこなった結果表土になったもの、だそうです。
黒く見えるのは微粒炭で活性炭なのでした。
人の手によってできたのがクロボク土なのですね。